「恕す」ということ。

さっきまでNHKの『被爆60年の〝祈り〟』という番組を見てました。ヤバい、かなりきてる。
その内容は、

被爆60年の今年10月、94歳の医師・日野原重明さんと指揮者の小澤征爾さんが一夜限りのイベントを開いた。広島から世界に平和を伝えるための「祈りの場」にしようというのだ。日野原さんはこの日のために、2年間かけて作った詩を朗読。「恕し(ゆるし)」こそが平和を実現する手掛かりだと語りかけた。小澤征爾さんは「レクイエム」で、鎮魂の祈りを捧げた。合唱団には広島市民たち400人も参加。中には犠牲者を悼む思いを込めて歌いたいという被爆者も加わった。被爆60年の今年、日野原さんと小澤さん、そして二人に共鳴した多くの人が一緒になって奏でた「平和のメッセージ」。その一人ひとりの思いを描く。
(http://www.nhk.or.jp/winter/036.htmlより)

というもの。


最近、中学の後輩達が沖縄に行ったという話を聞いたりしたりして僕自身が沖縄に行った時の事を思い出したりしてたから、余計にグッときた。それに、下手っぴながらひとりの歌い手として、僕自身が歌い続けるその意味を、もう一度見つめ直させてくれた。そしてなにより、僕自身がずっと求め続けていたモノ、何度も霧の中に溶けかけていたそのモノを、また教えてもらった気がする。


今の僕には力不足なのはずっと前からわかってる。
でも、いつかそれを少しでも、自分の為に、誰かの為に、伝えてゆきたい。
その為に、ほんの少しずつでも良いから、迷っても良いから、前へ進んでゆきたい。