にほんごについてのちょっとした考察。

今日、独語の先生の片割れ*1が少しおもしろい話をしていた。


要約すると、

欧米の方に聞いてみると、日本語の発音は毎回母音が入るから機関銃みたいに聞こえるらしい。要するにあんまし美しいことばとして聞こえない。その意味では欧米のことばは子音だけの発音があるから、きれいに聞こえるのでしょうね。でも私達(日本人)にとって、音だけだといまいちだけどたとえば(百人一首の)歌みたいに文字と一緒に入ってくると、とても美しいと感じる。不思議。

みたいな感じ。ごめんうろ覚えだけど。





なんかこの話を聴いて、僕たち日本人がよく日本語をあいまいな発音で使っているのはこのためなんじゃないかという気がしてきた。ハキハキと喋る人でも、いわゆる「きれいな発音の日本語」とは違っていることが多いと思うし。というかむしろ、日常会話で「きれいな発音」で話している方が浮いているような気がする。
文字と一緒に入ってきたときに美しいと感じる、ということについても、日本語の歌はその音楽性だけでなくて歌詞の内容も大きく評価に関わってるあたりから納得できる気がする。もちろんそうじゃない部分での評価もあるということも理解しているけど、歌詞によって音楽がこれだけ流行ったりすることばは少ないんじゃないだろうか。そういえば、海外でも日本語で勝負しているミュージシャンの皆さんは変に浮いたような独特の発音で歌われる方が多い気がするのは気のせいだろうか。


こう考えてみれば、逆に文字として伝わらなければその日本語の美しさ、というのは伝わらないということになるのではないだろうか。だから"声"という形でしかことばを表現できない演劇や朗読なんかにおいては、逆にしっかりとした「きれいな発音の日本語」がよく使われているのではないだろうか。演劇で使われることばというのは、冷静に聴いてみると日常で使っていることばからだいぶ浮いていて馴染まないけど、こう考えてみると納得できる。特にLIVEの緊張感の中でその場一回きりでしかことばを表せない舞台演劇でその傾向が強いというのも理解できるし。






・・・まぁこんな感じのことを体調不良であまり回っていない頭で考えてたりしてたのです。なんかあたりまえのことしか書いてないけど。


やっぱり頭がぼーっとしてるとその場で必要な勉強のことが考えられないから困る。別教科のレポートの内容もまだ考えれてないし。でもこういうどうでもいい頭の回転も人生には大切なのだ、と若造の僕が言ってみる。




まぁいいや、正直体調考えて今日は寝るべき。

*1:うちの大学では第二外国語の入門授業は週2回で2人の先生が1回ずつ担当するのです。ちなみにここで登場されてるのは70歳に迫ろうかという女性の先生です。