そこに確かに、「何か。」はあるんだ。。。

どうも、今日は諸事情ありまして少し前にようやくふとんに入れたYaenさんです。でも何故だかなんだか眠れません。これは今日あったことを、ちょっとでいいから「何か。」に書いとけよ、という何かのサインだと思っておきます。



今日は、水曜日に亡くなられたN先生のために、学部の1回生たちで自主的に集まってお祈りをする、ということをしてきました。


うん、とても良い時間でした。それはもう、とっても。
とても残念ながら葬儀関係には一切参列できそうになかったので、こういう機会を設けてくれたひとには本当は泣いて感謝したい。。。


僕のお祈りは、先生の死を初めて耳にした時に何故だか「身近な死」という宮沢和史の詩を思い出したということから話をはじめて、でもすぐに頭のなかが真っ白になってしまってたぶん何を言っているのかわからないような感じのままで終わってしまったような気がします。もう少しまともな頭が欲しい。。。



でも葬儀とは全く別の機会で、それもそれぞれの授業とかを差し置いて、皆で集い泣けるということは、本当にすばらしい。それはそこまでの人望を一身に集めていた先生のことでもあるし、その先生を心から愛していた彼・彼女らのことでもある。
そのことを、今日の皆の祈りを聴いていた中で魂が震えるほど強く感じたし、同時に日頃は距離を置いていても僕のことを受け入れてくれた今そこにいる多くの人たちに対して感謝も感じた。




これだけ先生の光がこれほど大きく、また人望を得ていたのは、きっとこうした僕たちが持つ闇や影と大なり小なりを問わず、真剣に向かい合っていてくれたからのような気がする。それが何を意味するかを簡単に知れるほど、今の僕にはまだ知識も思考もないけど。
ただ、それだけに先生の影の部分がいったいどこにあったのか、それがわからずじまいになってしまったなぁ。。。




たぶん、今のところ後にも先にも、授業を受けていて心を動かされると同時に、歌いたくなるような授業は先生の授業だけになるように感じる。そのことも、話をしてみたかったのに。。。






とりあえず、今日はこのくらいにしておこう。
また、このことに関しては書いていくとしよう。