また新しい1年がはじまる。

そんなことを今更ながらに実感しつつ今夜もYaenさんですこんばんは。今夜も、ったって昨日は更新してませんでしたが、昨晩は諸事情あって更新してる時間がなかったのさ、先週や野球の疲れもあって眠かったしw




さて、昨日はうちの隊いつもの礼拝奉仕(今年度はまだ2回目だけど)があって、今日は新入生の子も交えての練習がありました。そこでつらつらと感じたのは、「うちの隊ってつくづく不思議だなぁ」ってこと。




ここ最近、うちの隊の歌は僕が入隊してから適応に苦しんでたころと比べるとそこそこ、というかかなりカタチがしっかりとできてきたように思います。細部は荒削りなところが多々あるけれども、この「まるい」と僕は表現するけれど徹底してハーモニーの響きを浮かばせるような歌い方はなかなかの特徴だと思うよ。たぶん。


ただそのことをどの程度のメンバーが理解、もしくは意識的にせよ無意識的にせよ感じて歌えてるかというと、僕の視点からは疑問符が残るよ。いや、確実にそれを感じ取ってるメンバーは何人もいると思うしそれだからこうした歌のカタチが成立しているのだと思うけれども、それが個人の感覚の範疇に収まるのではなく「隊」全体の意識として持てているのかな、と感じた時に。実際にうちの隊は少人数であることも重なって、その「何人か」の個人の力量が半分くらい奇跡的なバランスの上に成り立っているような状態だと思うんだ。
まぁ確かに合唱というものはそういった各メンバーの奇跡的バランスの上に成り立つものでもあるし、何人かはまだ経験の少ない未熟な人たちが多いから当たり前のことなのかもしれない。ただ気がかりなのは、それぞれ授業など個人個人の仕事や役目をかかえて頻繁に編成が変わったりするうちの隊で、その「何人か」の力だけでうたを創ってる状況のままでいいのかな、と。なにか方針や目標みたいなものがあって下手は下手なりにそれにむかってがんばってるのならそれはそれでいいと思うし大丈夫なのだろうけど、今の隊にはそれが無いしあまりにも偶発的過ぎると思うんだ。少数の個人の力で支えられてるから何かがあった時にすぐ崩れちゃうだろうし、そうなるときっとその状況下での再構成はできない。


良い指揮者は自らがこう歌えと指図するのではなく歌い手を聴いて気持ちよく歌わすことでその声を聴いて「その合唱団のうた」というものを引き出すという話を聴いたことがあるけど、そういう意味では去年ボイトレをしてくださったK先生はすごいのだろうね。当時僕は今とは逆の方向でうまくこの隊の歌というものを探そうとしていたけど、少し歌を聴かれただけで僕らに今につながる示唆をくださった。そういう意味では、今のうたは先生が形造られたものなのかもしれないけど。
でも誰であれ「指導できる人間」というのが日頃の隊の中にいないのは致命的なことなのだろう。ましてうちは日々の中で目標とすべきものやその存在に触れるということがほとんど無いし。僕は僕なりにできることはあるハズなのだろうけど、なかなか皆とどう接するべきなのかで悩んでいるよ。僕は比較的こういうことになると熱い「らしい」し。
そういやそのK先生もここ数年のうちの隊を評して「不思議」という言葉を良く使っておられたなぁ。





なんだか当初考えていたものと比べて全然まとまりができてないのだけど、時間も時間だしひとまずこのくらいにしておこう。
また、今年は新入生たちが入ってくる。その子たちの存在が、僕らにとってもいい意味で刺激になればいい。



またこういうことも、誰かと話せるといい。