「愛される」ということと、「愛する」ということと。

こんばんは、今日もすこし更新時間が遅くなってしまいました。




今日は昨日の全身の疲れを引きずっての授業。書いてなかったけど1試合目終了直後に急遽休憩無しのダブルヘッダー(2試合)になったため各所に筋肉痛も残ってたし、全身がだるい。結局2限の英語はサボっちゃったし(かなりまずいハズだが今日のところは気にしないorz)3限も僕にしてはめずらしくうつらうつらとして過ごしてしまったよ。。。
でも4限途中からは急にカラダもラクになって気分良く授業が聴けたという。・・・我ながらなにがあったんだろう? それと一緒に気持ちもラクになったことは確か。




それから上記とはあまり関係はないけれど、前に教科教育法の授業の発表のために高校の先生にお願いしていた授業プリントが今日、届きました!
発表の資料としてとても重宝すると同時に微かだった記憶が少しずつよみがえってきて、なんだかとても懐かしく感じられます。それが今、僕の立つこの場所につながっているのだから不思議なものです。正直、可能であるならばあのころの授業はこの教科に限らずもう一度きちんと受け直してみたい。


これで発表の材料は出揃ったかな、問題は今日はもうムリだから明日明後日で発表内容がまとまるかどうか。。。




そういえば当時の僕は、授業の中で自分にとっての「愛」というものを直方体で表してみた時になぜだかやたら縦に長く表していたように記憶しています。
いまの僕にとってそれは、