君は何故、歌うのか。

これはもう、今月のあたま頃からずっとここに書こうとしていたネタなのですが・・・。




最近、"僕は何故、歌うのか"というこれまで幾度となく繰り返してきた問いが再び、あたまの中をぐるぐると回り続けております。それはもう、ここ半月以上も。
その原因としては、就活をやっていく上でこれまで自分がやってきたことを見返してみる必要があることや、春は多くの出会いと別れを得て自らも揺り動かされる季節であることも、多かれ少なかれ影響しているのでしょう。いや、両者ともに僕自身が思っている以上に僕に大きな影響を与えているのかもしれません。けれども恐らくそれ以上に僕への揺さぶりが大きなものとなっているのは、この4月に入ってから同じ大学に在学する2人の大切な仲間からそれぞれに"合唱から離れた"ことを伝え聞いたからでしょうか。




勿論その2人の決断はそれぞれの事情などに基づいたもので何であれ本人たちの決断として尊重されるべきものですし、僕もその決断は僕なりに称え尊重しています。(少なくとも、その"つもり"です。) ただ、その原則を理解し一部では起こり得る事実の予感を感じていながらもそれを聞いたときに大きなショックを受け、更に今なおどこかに一抹の淋しさを感じてしまうのは、僕の単なるエゴであると同時に僕自身にとっての「歌う意味(意義)」に大きな関わりを持つ出来事であったからでありましょう。
思い返してみれば僕は中高時代、ほぼ常々「辞めたい・・・」という気持ちをどこかに持ちつつも結果としてコーラス部に所属し活動に途中多大な迷惑をかけながらも参加し続け、更に大学でも規模はちっちゃいとはいえ今の隊に入って、気づけば1年次の末頃からはその活動とそのあり方にのめりこんでいきました。(そして盛大な空回りを続けてきました。。。) その過程のところどころで誰かから「○○(Yaenさんの中のひと)は何故合唱を続けているの?」といった質問を受けては適当にはぐらかしたりしてましたが、元々歌うことは嫌いではなかったし、高校時代は「辞めたい」という気持ちや大学でもどこか隊をナメる気持ちがありながらも、細かい点を抜きにすれば結局基本的なところに立ち返ると"合唱が好き"だったんだと思います。
だからこそ、共に歌った仲間たちの中からそこから離れてしまう仲間がいるととても残念に思ってしまうし、ましてその人と"合唱が好き"であることを共有していた(・・・と、少なくともこちらが思っていた)のなら余計にショックを受けてしまうのでしょう。・・・自分自身がどこか薄暗さ(後ろめたさ?)を感じながらも、それでも合唱を続けてきているがために。



でも単に"合唱が好き"だからという理由だけで、僕自身が恐らくここまで続いている訳ではないでしょう。そこでは他の行き場のなさや、何より僕が「辞める」ことすらままならないようなヘタレであるという点に対する指摘も決して否定はできません。
ただ、僕自身にそうした"後ろめたさのようなもの"があったことでそれが逆に歌い続けてきたエネルギーになっていた面も指摘はできると思います。それは時にある種の反骨心として、それは時にひとりの"狭間にある者"としての視点によって。・・・その功罪の議論も大いに可能なところなのでしょうが。



だとすれば、それを通じて僕が得ようとしていたものはいったい何だった、否、何なのだろうか?





そんな感じで、最終的には「自分とは何者であるのか」という問いがあたまのなかをぐるぐるしています。





なんかすごく長くなってしまった。当初予定していたまとまりもない。まぁいいや、寝よう。